October 18, 2010

Xist研究の舞台裏(3)

論文に書いていることが全て再現出来る、というわけではないことは多くの人が経験から知っている事だとは思うのですが、ではなぜ再現出来ないかというと、腕が悪いか、論文に書いてあることがウソか、二つに一つです。最近では次世代シークエンサーを用いた解析の大インフレで、とてもじゃないけれども普通のラボでは追試できない、というのも出てくるようになったみたいですが。特殊な機械を用いないと解析できない実験はスーパーカミオカンデやら加速器やらの物理の世界の十八番だと思っていましたが、分子生物学の世界にも確実にそういう波は押し寄せているようです。スーパーコンピューターを用いたシュミレーション実験もバンバン出てくるようになれば、それらもその手の「検証不可能実験」になることでしょう。余談ながら、このスパコンの愛称は公募で「京」に決まったわけですが、実はトップは「れんほう」で次点は「にばん」だったけど、全員一致で審査員に却下されたとかいう根も葉もない噂がありました。個人的にはそっちの方が面白かったろうに、その方が色々な意味で注目を浴びたろうに、リケンも宣伝が下手だなあ、と思いますけれども。

話が横道にそれてしまいました。Xistに話を戻します。Xistはメス由来の細胞でX染色体を不活性化しているわけですが、この不活性化は発生初期の特定の時期にしか起きません。通常の培養細胞でXistを発現させてやっても、Xistは染色体に貼り付くことは出来るものの、不活性化を誘導することは出来ません。そこで、Xistの不活性化活性についての研究には、ES細胞の分化の系が使われています。つまり、メス由来のES細胞を分化誘導すると、初期発生で起きるX染色体の不活性化のプログラムが再現されるので、そこでいろいろアッセイが組める、というわけです。ところが、この実験がちっとも再現出来ない。論文では分化を誘導すると綺麗なX染色体が形成されているのですが、手持ちのES細胞を分化させても、うんともすんとも言わない。世界中でこの系が使われているわけですから、こちらの実験系に問題があるのは一目瞭然です。学生さんのYHさんは別の細胞を取り寄せたり培養条件を変えたり色々工夫してくれたのですが、せいぜいX染色体の不活性化が起きる割合は0.1%。これでは実験になりません。僕に出来るのはそっと部屋の片隅に塩をまくぐらいでしたが、当然ながら何の効果もありません。

そうこうしているうちにひと月が過ぎ、ふた月が過ぎ、季節は暑い夏から秋、そしていつの間にか分子生物学会を迎える季節になってしまいました。うーん、このプロジェクト、最初ですべての運を使い果たしたんかなあ、などと血を吐きながら実験をしている学生さんが聞いたら激怒しそうな軽口をたたいていた僕もさすがに焦ってきたころ、この学術領域の計画班にも入っておられる佐渡さんから「でしょー。ES細胞で不活性化Xなんて出来ないよねー。でもあいつら出来るっていってんだよねー。」という力強いコメントをもらいました。そうか、そうなのか。でもどうする。すると、「上手くいくっていってる細胞もらったら?オレ持ってないけど。」と、あっさり言われまして、何でそこに頭が行かなかったのだろうと、自分の頭ペンペンしたくなりました。Germ lineにまで落ちるといわれているES細胞を使ってるのだから、細胞は大丈夫、という発想が最初にあって、そこを疑うという発想が全くなかったわけです。考えてみれば、実験がどうしても上手くいかなかったら、細胞を疑え、これ鉄則です。

というわけで、論文でしか名前を知らなかったのですが、当時Xist関連の仕事を連発しておられたJeannie Leeさんに、酔った勢いで「どうやってもうまくいかないんです。うまくいく細胞(PGK 12.1)ください。助けて。おねがい。」とメールしたら、一時間も経たないうちに、「あらその細胞私のとこにはないわ。ニールが持ってるの。間違えちゃったのね。転送しておくわ、じゃね。」と、とても親切な返事が、、、ふつう依頼先を間違えるか!アホアホアホと自分の勘違いに顔から火が吹きましたが、気を取り直して、Neil Brockdorffさんに再依頼。無事細胞を送ってもらえることになりました。この細胞を使ってみたところが、あれほど作れなかった不活性化X染色体がピカピカに出来ているではありませんか。おお、Neil。まさに神。この9ヶ月は何だったのだろう、と思うと同時に、やはり実験系を「作る」ということの難しさ・大切さをしみじみと感じました。最初に系を作った人は、無条件に凄いと思います。ともすると、こういうことは忘れがちであるのですが。

そのほかにもいろいろエピソードはあるのですが、長くなるのでこのあたりでやめておきます。ちなみに、例のライブラリー、他にも当たりがあるかとYHさんは残りのすべてを丁寧に見てくれたのですが、結局Xistが散るのはhnRNP U、たった一つでした。一発ツモで親マンひいたみたいなもんですから、そうそう幸運が続くわけもありません。とはいえ、実は他にもいろいろ面白い事が分かってきまして、続きは後日。この新学術が続いているうちにまた論文にまとめられればよいのですが。。。

中川

2 comments:

  1. ちょっと違うかもしれませんが、その昔、博士課程の頃に、ある遺伝子の発現誘導を、自作のレポーター遺伝子で再現するのがうまくいかなくて、時間を潰したことを思い出しました。原報の追試をやってわかったのは、論文に書いてある誘導条件では、本来の遺伝子発現の5-10%程度の発現レベルしか誘導されず、レポーターのような系ではノイズに埋もれてしまうということでした。結局そのときはあきらめて、作ったレポーターで違う実験をしたのですが、ひとんちの実験はやってみないとわからない、というのが身にしみてわかりました。

    影山裕二/岡崎統合バイオ

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  2. ところで、スパコンは「れんほう」だとひねりが足らない気がするので、「ニバン」だとよかったかもしれません。組み上がったときに既に3番手以降になっていると(その可能性も十分にありますが)面白くないですけれども。

    影山裕二/岡崎統合バイオ

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